「グローバル化」

 中国へ行ってきました。
 僕と、僕の妻は、2人とも日本人ですが、中国は上海にて結婚式を挙げたくらいですから、中国は大好きです。もちろんその後も、毎年、最低でも年に1回以上は、中国へ出掛けています。
 中国の変貌はすごい勢いです。行く度ごとに、街の風景は一変し、道行く人々は明るくファッショナブルになり、清潔感が増し、食べ物はおいしくなり、サービスは向上してきました。「眠れる龍が、いよいよ本当に眼をさました」というのは僕も実感として持っています。
 2008年に北京でのオリンピック開催、2010年には上海万博が、すでに決まっています。よく言われるように、日本では昭和39年が東京オリンピック、40年が大阪万博でしたから、今の中国の建設ラッシュと経済発展は、日本の昭和30年代後半の高度成長のものと一緒かもしれません。そんな意見・考え方もありましょう。僕も一部、同感です。
 ひとつだけ、違いがあるとすれば、1960年代に比べると、今はずっと平和な世界になったということです。当時は2つの超大国、アメリカとソ連が核兵器を持ってにらみ合っていた時期でした。ヨーロッパは東西に分裂しており、アジアのベトナム戦争は泥沼化していきました。
 もちろん現在のイラクとその周辺に火種がくすぶっていることも、朝鮮半島がいまだ分裂状態にあることも、事実ですが、ヨーロッパもアジアも当時に比べればずっと平和です。また、世界のどこで何が起こっているか、情報も瞬時にしてわかります。戦争中の敵の情報も、味方の情報も、当時に比べれば、もう筒抜けに近い状況じゃないでしょうか。
 そして今年2004年、ヨーロッパでは新たに多くの国がEUに加盟します。
 チェコ人の友人の談。「チェコは小さな国。EU加盟で、チェコのアイデンティティは薄まってしまう懸念もあるけれども、ひとつのヨーロッパという考え方からいけば、当然の成り行きなんだと思う。」
 EU加盟国内では、人、モノ、お金が自由に動きます。しゃべっている言葉と国籍が違うだけで、もうほとんど国境がないのと同じ。ユーロという新しい通貨は、複数の国で流通する大きな力となりました。隣の国へモノを動かすのに「関税」はありませんし、隣の国へ人が出掛けるのに、「ビザ」が不要なのはもちろん、パスポートのチェックさえ、ろくにありません。出入り自由。行き来自由です。
 中国の台頭は、やがては日本・韓国・台湾あたりを含めた「ひとつのアジア経済圏」につながるかもしれません。30年前、日本の経済成長は、外国からの資金援助を仰がないというのが、ひとつの特徴でした。アメリカをはじめとする先進諸国から、出資も生産技術も、もちろん製品も、市場から締め出し、できるかぎり「独力」でやってきたという感があります。日本の後を追った韓国や台湾は、積極的に外国からの融資を受け入れ、技術を取り入れ、発展してきました。今の中国は、それ以上の勢いです。外国資本大歓迎! 外国の技術もそのまま、丸呑み。日本が30年かかって来た道を、わずか10〜15年で追いつくのではないか、そんなスピードに見えます。
 「ひとつのアジア経済圏」は、ヨーロッパのユーロに対抗し、アーロかなにか作って、通貨統合までできるかな、と。人もモノもお金も、その圏内では、自由に動き回るのです。作年9月、日本人の中国への観光目的での渡航は「ビザなし」になりました。それまではビザ取得に約1週間と1万円弱の費用がかかりました。今では飛行機の座席さえ取れれば、その日の飛行機に乗れるのです。改革開放路線はとどまるところを知りません。
 ヨーロッパのEUのようなものがアジアにできれば、田んぼの周辺にも大きな変化が起こります。その時には、農産物の関税は完全に撤廃されるでしょうし、日本の「減反政策」なんてアホらしい政策は消えてなくなるでしょう。たとえば、中国は雲南省でとれた珍味が、名古屋で簡単に手に入ったり、新潟のおいしい食べ物が、上海の家庭の食卓に毎晩あがる、そんな新しい時代です。でも、けっして突飛な発想ではありません。ヨーロッパでは現実に起こっていることです。
 胡瓜、胡ショウ、胡麻、南瓜、西瓜など、漢字で書けば、中国から渡って来たと思われる食べ物がたくさんあります。コメだってもとは中国が原産です。
 中国の農村部で昔ながらの農場を訪ねたり、都市部のスーパーマーケットでユニークな果物を見つけたりするたびに、アジアの新しい時代はもうすぐそこまで来ているのではないかと、感じずに入られません。ワクワクするような期待感がありますね。




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