「クモの糸」

 「おぼれるものは、わらをもすがる」ということわざがあります。
 これまで一度も水におぼれたことはないので、生きるか死ぬかの状況で、何にしがみつくかはわかりません。はたから見たら可能性がほとんどないにしても、やっぱり水に漂うわらにすがりつくかもしれません。
 ことわざの真意は「ホントに困るときには、はかないものでも頼りにしたくなる」だったとおもいますので、わらというのは、はかないもの、そのへんにあるけど役に立たない、頼りにならないもの、の象徴なんだと思います。農業では、稲わら、麦わらはとっても身近な存在です。『わら1本の革命』というタイトルの世界的に有名な農業書もあります。わら1本から「革命」なんて大仰な話になりますので、わらというのは軽くみられながらも、大事な何かなのでしょう、きっと。
 よそからみれば他愛もないわらかもしれませんが、農業の現場ではそれはそれは、わらは最重要の栽培指標です。草丈、茎の幅・厚み、葉っぱの色、枚数と葉っぱの大きさ、伸張していくときの角度、乾かしたときの重さ・・・病気も葉っぱの色・形で見つけます。栽培の過程では、葉っぱについてのいくつもの材料を集め、診断を下します。稲の栽培とはじつは、わらの栽培みたいなもんです。「わらの部分」を見さえすれば、いい米かどうかも見分けがつきます。

 で、クモの話。
 『クモの糸』は、芥川龍之介。
 あれも地獄に堕ちるかどうかというときに、クモの糸にすがる・・・そういうお話でした。これまで一度も地獄に堕ちたことはないので、天国か地獄か、の状況で、何にしがみつくかはわかりません。はたから見たら可能性がほとんどないにしても、やっぱり空中に浮遊するクモの糸にしがみつくかもしれません。

 クモは、いいやつなんです。クモを嫌いな人はたくさんいると思うんですけれど、憎んではいけない素敵なやつなんです。
 クモのたくさんいる田んぼは、いろんな虫が生存している生態系の保たれた田んぼです。害虫をやっつけようと殺虫剤をまくと、クモも死んでしまいます。カメムシ、ウンカ、イナゴ、そんな憎き害虫たちを、クモは巣を張っては捕まえ、食べています。クモは稲に悪さはしません。そして虫の害に悩まされることはありません。あぜにクモの巣。田んぼの中にクモの巣。田んぼを歩いてひとまわりして来たら、服にびっしりクモの糸がはりついていたなんてのは、とっても喜ばしいことなんです。
 4歳の息子が、虫かごを持って虫取りをしています。セミ、テントウムシ、カエル、はたまたカタツムリ、まあ、何でもいいみたいです。虫かごの中ですぐに死んじゃうのですが。クモは?ってきいたら、「やだ、クモ嫌い」って言ってました。クモは虫かごには入れてもらえません。「じゃあ集めなくてもいいけど、クモはさ〜、いい虫だから、軒先に巣を作っていても、殺しちゃだめだよ。玄関先で見つけても、逃がしてあげてよ。いい虫なんだから」と、虫の善し悪し(?)を、必死に説明する父ですが、本人には届かず。糸デンワよりも、心もとない会話でした。ぷちっと切れてしまいました。やれやれ。




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