「脳業か、それとも悩業か」

 インターネットが普及したせいで、人と人との距離感が変わってきているように感じます。遠くの人をそれほど遠く感じなくなりました。海外の人ともメールや携帯で瞬時にやり取りが出来るご時世です。反対に、農村のなかの人と人とのつながりは、希薄になってきているように感じます。村の中の封建時代からつづく互助精神が、途切れ始めているように感じます。濃密なむら社会も、都市化の波に洗われているのでしょう。いいとか悪いとかそんな意見ではなく、実感としてそう感じます。
 今の時期は「冬は何をしてるの」と質問されることが多い季節です。距離感としては、それほど親しいわけでもない、だからといってまったく知らない間柄でもない、中ぐらいの距離感・・・・の季節のご挨拶。そんな種類の質問です。
 その日の気分によって答え方は変わるのですが、「あー、冬は、冬眠です」とか、「雪をかまっているとそれで一日が終わります」とか、「骨休めで毎日温泉」「コタツにはいって雪見酒」。まあ適当に答えております。尋ねるほうも答えるほうも、あいまいにしておくのがお互いよろしいようですので、にこやかにあたりさわりのない返事で済まさせていただいております。
 実際に田舎で生活しているのですから、「田舎暮らし」や「農的生活」について、心温まるエピソードやほのぼのとした話題を、何かにつけて提供していけたらいいなぁと希望は持っています。雪が降ってるので冬眠してますなんて、まるでのんきなクマみたいで、まったりとした感じになりませんか。冬はコタツに入って雪見酒なんてのも、田舎暮らしのイメージっぽくないですか? 
 「もうかりまっか。」「ぼちぼちでんなぁ。」そんな挨拶が今でも大阪の商店街で交わされているかどうかは知りません。でも、そんな中ぐらいの距離感の挨拶って、地域のもつ歴史や個性とふかく関係していると思います。僕のところは、雪国でコメつくりの盛んなところだから「冬は冬眠」。いかがでしょうか。
 
 春から秋にかけての農作業は、冬に立てる計画がすべてです。春に種まきをする頃には、作付け計画、資金計画、作業の段取り、そういったものがほとんど決まっています。逆にいうと、見切り発車で出発し途中で予定を変更する、なんてことはあまり出来ない世界です。春、夏、秋と農業をしてますが、冬も農業をしてるんです、コタツの中で。脳業かそれとも悩業か、いずれにせよ、そんなことをしております。農的生活と脳的生活は、じつは同じなのかもしれません。そして休養も、大事な農業(脳業)の一部です。
 フフフ、でも「脳業」なんていったって、脳の働きは知れてるんで、格好をつけてるだけなんですが。ノー業でもいいんです。
 10年前は地元の農協とほとんどお付き合いがなかったのですが、認定農業者だ、担い手だ、とおだてられてるうちに、農協から土地を借り、農協から機械を借り、農協に生産物を出荷し、とだんだんと関係が濃くなってきました。そうすると単なる取引先にとどまらず「しがらみ」も増えてきます。昭和ひとケタ世代が農業の第1線からリタイアし、農業の産業構造自体が大きく変貌していく状況です。10年前の農業界の常識は、これからの物差しにはなりません。古くなりホコリをかぶったしがらみも、情報時代の新しい農業の目で、再点検です。
 師走なのでさしずめ、ハタキをかけて大掃除といったところでしょうか。  




HOME

Copyright (C)1997-2006 Akiyama-farm. All rights reserved.

このホームページ上に掲載されているすべての画像・文書などの無断転載を禁じます。