「避難所」

 東日本大震災から3週間が経過しました。小さな農村のわが町にも、東北方面から被災者が避難してきました。新潟県は全国のどこよりも各自治体・公共施設・ホテル旅館などで、被災地域からの避難者を受け入れています。
 今年は3月下旬でも真冬並の寒さがあり、一日おきくらいに雪が降りました。太平洋岸からの避難者は、雪の多さにおどろいたことでしょう。それでも、これまで停電も断水もありませんでしたし、ガソリンスタンドも食料事情も、特に物不足に見舞われるということもなかったので少しは落ち着かれたのではなかろうかと思っています。新潟以外の地域では、食料・日用品の買占め騒ぎや、水道の放射能汚染もありました。わたしたちの町は情報の感度も住民の動きも、よく言えばのんびり、悪く言えばボンヤリしてるので、あまりパニックになることはありません。
 命は助かった、けれど・・・という声は、4月になるころに聞こえてきました。「この町には何もない」。
 子供のいる家庭は、卒業と進学の時期を迎えましたが、一時避難では学校が決まりません。どこかの町に住民登録なりなんなりしないといけないそうです。また大人たちは、次の生活について考えなければなりません。この先もこの町に暮らすのなら、住居はどうする、仕事はどうする・・・?でも、この町にはなにもない。
 でも避難所の皆さんの心配も、その通りなんです。小さな農村には温かい人情はあっても、現実の仕事はないし、ちょっと都会から来た人にとってみれば、学校も病院もないに等しいでしょう。自分でいうのもなんですが、本当にのどかなところなんです。被災地からは逃げ出してきて、とりあえず食料にも暖かい布団にもありつけた、ガソリンもなんとか間に合った、さてこれからだ。となった時に、新生活をスタートするための情報が充分にない。日常の再建に必要な手かがリがつかめない。そういう新たな不安が浮上してきました。故郷に帰れる当てはない。かといって、この町に住むのも難しい。 
 3月29日のサッカー日本代表のチャリティマッチをテレビで観戦しました。私は大のサッカーファンなので気合を入れてみるのは当然なんですが、今回は試合会場となった関西よりも、日本経済の中心である首都圏よりも、被災地仙台地区の視聴率が高かったのだそうです。復興支援のイベントをほかの地域よりも被災地が熱心に観た、ということですね。選手の言葉が印象的でした。「こんなときにサッカーなんかしていいのか解りません。でも自分にできることはサッカーしかないし、サッカーを一生懸命にすることで何かを伝えられたらと思います」
 娯楽は被災地に配慮し自粛すべきというムードがあります。ライフラインも完全に復旧していない今の状況では時期尚早だという意見も理解できます。
 しかしながら、人は太古の昔から、絶望に直面し不安におしつぶされそうなときに、歌をうたい、ユーモアに笑い、詩を口ずさんだのではないでしょうか。芸術が、音楽が、苦しみや悲しみに耐えるひとたちに何かを届けてきたのではないでしょうか。
 何かに逃避し、何かに救われる。それは本の1冊、絵の1枚、映画の1本、スポーツの1試合・・・・。喪失感や孤独感を埋め合わせてくれるのはそういうものではないでしょうか。
 いま、サッカー選手がサッカーでするように、高校野球でも、プロ野球でも、大相撲でも、一生懸命やるのが大切だろうと思います。自分の持ち場、持ち場でできることやれること。詩人が詩を作り、画家は絵を描く。映画監督は映画をつくり、歌うたいは歌をうたう。食べ物にかかわる仕事をしている私たちは、コックさんも、パン職人も、ビール会社も、そして農民も、おいしい食べ物を作り、届けること。
 先日、今年の作付け用に種もみの準備をはじめました。




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