「放射能」

 東日本大震災から半年が過ぎました。
 そして放射能による汚染の実態も、徐々に明らかになってきました。
 当初、政府は「直ちに人体に影響を与える値ではない」「冷却が継続できればメルトダウン(全炉心溶融)にはならないだろう」と発表し、放射性物質の流出が危険なレベルには達していないとの見方でした。
 しかし、その後、多くの市民の不安は的中し、地元住民の避難にとどまらず、水道水から検出、お茶、野菜、牛肉、と日常的な食品からも検出される事態になりました。
意外にも専門家といわれる人たちは詳しくなかったし、頼みの政府は茶番劇を繰り返すばかり。やっぱり自分たちで調べていくしかないのだと思いました。
 農産物への影響と健康被害が無視できない今、わかっていること、わかってきたことを少しづつでも整理したいと思います。

 ヨウ素とセシウムという放射性物質に始まり、マイクロシーベルトやベクレルという単位、ガイガーカウンターに原子力賠償法、暫定規制値、土壌汚染に除染・・・。半年前まではまるで知らなかったことばかりです。難しいことも多いです。
 ただ、新潟で農業を営む私たちにとって本当に大事なことは、自分たちの農地は汚染されているのかどうか。それから私たちが出荷した農産物が安全かどうか、に尽きるのではないでしょうか。
 はっきりわかっていることが2つあって、一つは、放射性物質は簡単には消えないということです。例えば細菌やウィルスによる汚染なら、洗浄・加熱・焼却といった方法で存在そのものを消すことができます。しかしセシウムは生物でないので焼却処分のような方法がとれません。物理的に遠ざける、隔離するくらいしか避ける方法はないようです。
 二つ目は、もし健康被害が出るとすると、大人よりも子供のほうにその影響が大きいことです。直接見えないし、異臭も変な味もしないモノから子供を守るのは大変なことです。30年も続くのであれば不安はいっそう増します。

 3月12日と15日の水素爆発で飛散した放射性物質は雨雲にのって各地に降り、汚染地域を拡げました。福島原発からかなり遠い関東地方でも、飛散が確認されています。
 ヒロシマ・ナガサキに降ったという黒い雨は、文字通り「黒い雨」だったそうですが、今回の雨は、色がついていたとすれば灰色、透明に近い灰色です。危険なのかどうか、もし危険だとしたらどのくらい危険なのか、よくわからないのです。
 多くの自治体が独自に調査して、汚染の程度を発表していますが、大体は「安全」だというものです。ついこのあいだまで「日本の原発は安全です」という神話があったので、今さら「放射能がちょっと降ったけど、でも安全」といわれても、大本営発表のように聞こえなくもありません。自分たちで検査しているというのもおかしいし、検査箇所も検査機械も、いい加減な気がします。でも、眉にツバ付けながら情報を集め、いろいろ調べても、じゃあいくらなら危険なのかという線引きははっきりとは出来ません。

 今現在、政府も民間も、消費者も農業関係者も、使っている物差しはひとつだけ。放射性セシウムが1kgあたり500ベクレル、が基準です。これは厚生労働省がしめした暫定の規制値で、500ベクレルよりも多ければ出荷できない、500以下なら流通OKです。体温が37.4度なら問題あり、37.4度以下は全員平熱・・・そんな感じでしょうか。暫定なので当然、変わることもありますし、500という数字が信頼できる物差しなのかどうかも全くわかりません。
 田んぼや畑の土の土壌検査では、10倍の5000ベクレル/kgが国の指針なのですが、検査方法も明確でなく、土からの吸収の程度も詳細はいまだ不明のため、結局は出来上がった農産物を調べようじゃないか、という方向になっています。
 田んぼや畑に落ちたセシウムは、肥料成分のカリウムと同じように、もしくはカリウムの代わりとして作物に取り込まれていくそうです。そしておコメの場合は、ほとんどがワラに、残りの多くは玄米の表面に残留することがわかっています。
 牛肉からセシウムが検出されたのは、エサ用に積んであった東北地方のワラに放射性物質が吸着していると認識しないまま、全国各地の牛舎に売られたため。その後、このえさワラを食べた牛とその牛肉から規制値を超える値が検出されました。
 このときの基準も500ベクレル。今、収穫期を迎えた新米の安全基準も同じ1kgあたり500ベクレルです。毎日の食べる量は、おかずの牛肉と主食のコメでは、だいぶ違うはずですが、細かいことは置いといて、同じ物差し500ベクレルを使うことになっています。

 今は新米に限らず、秋の美味しいものの出回る時期ですから、あちこちの食品から検査結果が発表されています。各県で、また市町村単位で、まるで競争するかのように安全宣言が出ています。
 ただし、自治体などが発表する検査は自分たちがお抱えの関連団体等が検査する場合がほとんどで、ハイそうですかと信じられるかどうか。万一、地元から放射性物質が検出されれば、基幹産業である農業に壊滅的な被害をあたえかねません。
 公平な検査ではなく、なんらかの手心が加えられている「検査結果」と見るのは考えすぎでしょうか。
 例えば、広大な面積のはずなのに、1ヶ所の検査をするだけで「安全」とし、検査を済ませている例がたくさんあります。さらに、民間の検査機関に比べると、検査機器が古い、旧式、簡易、で精度に欠けるとの、検査関係者の指摘もございます。

 いっぽうで、生協などの出荷団体は「自主的検査」というところが多いです。こちらも検査にひっかかったというモノはほとんど聞きません。そもそも、自分で販売するものを自分たちで検査するのでは本来的な公平さを欠いているように思います。どうなんでしょうか?
 また検査の内容を見ても首をかしげたくなるところがあります。
 例えば、コメを検査するのに精白米で検査している事例が多く見られます。
 これは農業のプロからすれば、まったくのナンセンスです。放射性物質はあるとすれば玄米の部分に多く滞留することが認められているため、精米してヌカ層を取り除いた後では検査精度が格段に落ちるのです。そして、どの程度まで精米するかは簡単に調整できてしまいます。
 検体抽出の割合も、大量の流通量に対し、ごくごくわずかで、流通のほとんどは無検査とも言われています。

 もちろん、自治体や生協が発表する検査が間違っているというわけではありません。危険だといっているわけでもありません。自分達で調べるのは、いいことです。しかしそれは内部情報であって、公式な発表を出す前には第3者の監査が不可欠なのではないでしょうか?

 私たち秋山農場も、もともと距離も遠いので心配はしていなかったのですが、いろいろと考えた結果、念のため放射性物質の検査をしようということになりました。
@利害関係のない民間の機関に依頼すること
A玄米ですること
B田んぼの土と出来上がった新米の米粒の両方、の検査をすることにしました。
 9月に入り、検査結果が届きました。いずれも「放射性セシウム検出されず」です。
 耕地もたいした面積ではありませんし、また、よその地域やよその農場のコメと混ぜることは決してありませんから、安全面に関しては二重丸と言ってよいでしょう。

 思ったとおりの結果でひとまず良かったと胸をなぜ下ろしながらも、なんとなく釈然としない気分にもなりました。
 まあ、私がへそ曲がりだからなのでしょう。なんだかどこもかしこも、安っぽい安全宣言ばかりだ、と耳をふさぎたくなるくせに、でも自分の同じ口で「私のところは安全です」と言っている、偽善者ぶってる自分がちょっと悲しくなりました。
 自分のところが風評被害を受けて、販売不振になるのは困ります。
 だから、農場経営の当事者としては、それはそれで必死なのですけれど、土を耕し、種をまき、豊作を祈り、天地に感謝し収穫する、それが農業、と思っているだけに、農作物に○だの×だのとレッテルを貼って、それで本当にいいのか、と思うのです。チマチマと小さくまとまっているような気がしてならないのです。

 放射能の問題は、きわめて科学的な問題のはずです。核分裂や核融合とは物理の権化のようなものでしょう。専門家でない私にはそんな風に感じられます。
 それでも、ヒロシマ・ナガサキの悲劇も、米ソの核実験競争の時代も、日本中に建設された原発の数も、チェルノブイリの惨状も、けっして架空の物語ではありません。軍の機密事項や政治的な綱引きのため、おもてに出ないことが多いにせよ、放射能の危険性、特に健康への被害は、事実に基づくかなりのデータがあるはずです。 そしてそのデータが物語っているのは、白黒はっきり線引きの出来ないグレーゾーンが、太く幅広く横たわっているということです。

 先日、ウクライナのキエフから友人の便りが届きました。
 「こちらではチェルノブイリなんてどうでもいいのか、まるで何事もなかったかのようにみな生活している」と書いてありました。日本から見ると驚きです。
 しかし、事故の現実の受け入れ方としてそれが最善なのかもしれません。

 ヒロシマは30年は住めないと言った著名な科学者がいたそうですが、市民はそんなことを考えることもなく、すぐに家を建て畑を耕したことでしょう。
 黒い雨を直接浴びた人は別にして、浴びたのがグレーの霧、くらいだった人の健康被害はどうだったのでしょうか。また、広島特産のカキや広島産の農産物から放射性物質はどのくらい検出されたのでしょうか。30年も消えないセシウムの内部被ばくはどんな影響を及ぼしたのでしょうか。
 科学者の予想が大きく外れたのは、幸運だったのでしょうか?

 今回の事故は、科学の問題ですが、同時に私たちの「哲学」の問題でもあると思っています。私たちの生き方が問われているように思うのです。
 わが家には小さな子供が2人います。親たちが作ったコメを毎日食べて育っています。きっと今年収穫される新米も、うまいうまいと言ってモリモリ食べるでしょう。
 これは検査結果が出たので、もう空想の話ですが、もし検査結果が×だったら、または検査に出していなかったらどうだったのでしょう。検査結果が×ならば、お客さんには売れません。出荷停止です。
 しかし、大量に放射性物質が出るはずもなく、私は自分では食べたんじゃないか、と思うのです。捨てるのがもったいないから、食べるのではなく、これは生き方、考え方の問題なのだろうと思います。
 ひょっとすると、子供たちには、親とは別のものを買い与えたかもしれません。今となっては、もうわかりません。ただ、コメも命。私も命です。大差はないのです。今年もコメが実りました。いただきます。ありがとう。それだけです。

 今こうしているあいだも、福島原発からは微量の放射性物質が漏れ続けています。
収束はいつになるのか、見当もつきません。
 いろんな人が発表する内容だって、どこまで信用できるのかわかりません。自分たちに都合のいい情報だけを流しているのかもしれません。疑心暗鬼になるのも仕方ありません。
 情報が錯綜している日々ですが、こういう時にこそ深く考えることができるのかもしれません。本当に大切なものが何なのか知る機会なのかもしれません。

 今回、農業をしているからか、放射能に対する問い合わせ、忌憚のないご意見など、多数いただきました。こうして私が放射能についていろいろと考える機会をもてたのは、そういう皆様とのお話のおかげでもあります。これからも情報交換、意見交換をさせていだだき、少しずつでも勉強を重ねていきたいと思います。この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。




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