「民 泊」

 旅行の季節です。
ホテルや旅館といったちゃんとした宿泊施設に泊まるのではなく、ごく普通の家庭に泊まる「民泊」というものが静かなブームになっています。例えば、都会の人たちが農村漁村に行って農家や漁師のうちに泊まるというもの。もちろん、農作業を手伝ったり、魚釣りにいったりと、田舎ならではのアクティビティも楽しみます。
似たようなもので「民宿」という宿泊施設がありますが、「民泊」は親戚の家に泊まりに行く感じ、といえばわかりやすいでしょうか。お盆で帰省したときに、遠い親戚の家に泊まりに行く。古い友人の家に泊まりに行く。そんな感覚です。

 もともとはヨーロッパで広まったグリーン・ツーリズムが始まりとされています。エコ・ツーリズムとか農村体験旅行とか、呼び方はさまざまですが、日本でもこの20年ですっかり定着しました。
小学校や中学校には宿泊学習という時間があり、この民泊をとりいれるところが増えているそうです。イモ掘りをしたり、畑の草取りをしたり、虫取りをしたり、スイカを沢で冷やして食べたり、と、子供たちには、ワクワクするようなことがいっぱい。昔の日本人なら誰でもしたような体験ですが、今では都会育ちの子には、すべてが新鮮で感動的な遊びばかりです。何かのスイッチがあるのでしょう。子供たちの目がとたんに輝きだします。

 こうした交流は、田舎で受け入れる側にとってもメリットがあります。
 たぶん、都会と田舎の距離がこんなにも離れてしまったのは、日本では有史以来初めてのことでしょう。「ふるさとは 遠きににありて 思ふもの」そんなノスタルジックな歌が出来た頃は、きっと今よりも田舎と都会の心のつながりはしっかりとしたものだった気がします。新幹線や高速道路が、日本全土を縦横無尽に走るようになったのとは裏腹に、心理的な距離、文化的な距離はあまりにも遠くはなれてしまいました。
 農村で生活するものにとって、情報の格差、とりわけ情報を発信する力には、圧倒的な差があります。例えば、東京と新潟の過疎の村では、外国といっていいほどの格差があります。いや、格差というよりも、文化の違いといったほうがいいかもしれません。アメリカ文化のほうが優れていて日本の文化は劣る、ということはありませんので、本来、文化とは上下関係ではなく互いに尊重すべきもののはずです。しかし、テレビや新聞は東京を中心に作られていますので、農村の文化については軽んじられているように感じます。農民としては、自分たちのことをもっと知って欲しいと切実に願っているのです。

 ところが、実際にたくさんの人が訪れて、「こんな良いところがあったんだ」「空気もきれいだし、食べ物も美味しいし、最高」と喜んでもらえると嬉しくなります。どうせ俺たちのことなんか誰も分かっちゃくれねえんだ、と半分イジケていたのが、がぜん、元気が出てきて、自分のうちの庭で宝物を見つけたような忘れかけていた何かを思い出させてくれる、そんな心の交流があるのです。それから、まるで本当の親戚か友達のようなつきあいに発展するのも楽しいことです。

 この夏、どこかへ行こうという方、農家の民泊なんかはいかがでしょうか?もしかしたら新しい世界が開けるもしれません。旅行代理店などでは取り扱いがほとんどないようですが、各自治体などがホームページ等で告知や募集をしています。

 



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