「幸福について」

  例年よりも少し遅れましたが、新米の発送が始まりました。
 1年かけて丁寧に作ったものが、袋詰めされて出荷されていきます。
 この気持ちはどう表現したらいいのでしょう。ものづくりをされている方には、きっとわかってもらえるかもしれません。いやそれでも、工場で電化製品や自動車を製造するのと、生き物を育てるのはやはり少し違うかもしれません。自分の子供たちを社会に送り出した、嫁に出した、そんな晴れ晴れとしたような、でもちょっぴり寂しいようなそんな気持ちに近いかもしれません。うちの子供たちは、まだ幼くそんな年になっていないので、推測でしかないのですが・・・。
 昨日まで田んぼで育てていたイネが、新米になってお客さんのもとに届けられていく、この感情は農民にとって特別なもので、こみ上げてくる何か喜びのようなものがあります。

 私たちは「豊かな時代」に生きているから、そう感じるのでしょうか。
 昔の農民たち、重い年貢に苦しめられていた時代の農民は、新米を出荷するとき、どう感じたのでしょうか。
 何百年ものあいだ、コメは貨幣でありました。むしろ表情のない通貨、としての役割のほうが大きかったのだろうと思います。士農工商という身分制度のあった時代もありました。石高の大きさで、領主の勢力を示していた時代もありました。明治時代の初期でさえ「地租」という名の税を、米で納めていたわけですから、現代とはコメの位置づけがまるっきり違いますね。近代以前の農民たちは、どんな思いでイネを育てコメを出荷していたのか、聞いてみたいですね。歴史を振り返れば、コメだけのご飯を日本中で食べられるようになったのは、昭和になってからのはずです。それまで長いこと、貧しい大多数の農民は、コメを商品または税として生産するだけで、自分たちは銀シャリにありつけなかったという、残酷な仕組みもありました。豊作の年であれば年貢を納めることが出来て安堵したでしょうが、反対に凶作であったなら、家計は崩壊に瀕し、途方にくれたことでしょう。現代からは考えられないくらいの厳しい生活だったでしょう。でも、それでも、深まった秋には、喜びというか、農民に共通の幸福感というものが、やっぱり存在したのだろうと思います。天皇家が、新嘗祭を毎年11月に行うのは、きっとその象徴的なことなのでしょう。農民が国民の大多数を占めていたからこその、神事なのだろうと思います。

 「幸福」は、英語でハピネスですが、日本語にはもう1つ「口福」という表現もあります。
簡単に外国語には直せない日本独特の感性だと思います。新米を出荷する農民の感情が「幸福」だとすれば、炊き立ての新米を味わうのは「口福」であり「至福」です。
 白いご飯にのせたいもののアンケートを新聞でやっていました。1位は生卵、2位は明太子、3位は海苔、4位は納豆・・・だそうです。どれもコメの味が引き立つものばかりです。
 高級な食材や手の込んだ料理の良さとはまた別に、シンプルにご飯の味を堪能するのも、日本の秋の「口福」ではないでしょうか。

 秋になんともいえない感慨をもよおすのは、おそらく日本人の情緒ですね。新米の旅立ちのとき、いろいろな「幸福」をかみしめたいと思います。


青い空と黄色いイネ
青い空と黄色いイネ
秋の田んぼはトンボが群生しています
秋はトンボが群生しています
土手のススキと黄色いイネ
土手のススキと黄色いイネ

実りの秋



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