「原風景はいつもドタバタ」

  桜の咲く季節は、花粉とともにやってきます。
日本3大夜桜に数えられる地元・上越高田公園のお花見は、花粉症の私にとっては、鼻水やくしゃみと戦いながらの行楽です。
花粉症がひどいから出かけるのは止そう、とはなりません。きれいにライトアップされた園内で、お酒を飲んだり、たこ焼きをつついたり、赤いぼんぼりの桜のトンネルを歩いたりは、やっぱり毎年恒例の欠かせない行事になっています。
これは、桜を愛する日本人の心でしょうか。でも、ときどきふと考えてしまいます。だって、夜露に濡れた冷たい芝生の上に、ダンボールを敷いて、花をながめるだけですよ。
「寒いな、鼻水が止まらない。このダンボール、お尻のところ、しみてきたな。あ、花びらが舞ってきれいー、むむ、これ桜吹雪じゃないぞ、あ、あられだよ、あられ! 道理で寒いわけだ。こりゃだめだ。撤収、撤収。でも桜きれいだなあ」
 夜桜、けっこう悲惨な環境に身を置いて、花を愛でるのですが、どうしてこんなにも楽しいのか。いや、われながら不思議です。心の奥深いところに、何かが宿っているとしか思えません。日本人が古来から持つ「原風景」なのかもしれません。

 原田泰治さんという人の絵が好きです。
 「こころのふるさと」「日本のふるさと」をテーマに、日本全国の農村漁村が描かれる、どこかなついかしい絵です。長野県の諏訪に美術館もありますし、新聞の連載や、切手、カレンダーなどでも、ときどき見かけるので、ご存知の方もきっと大勢いらっしゃるでしょう。かやぶき屋根に、つぎはぎだらけの農作業小屋。舗装されていない土の道。おんぼろバスに、木造の校舎。今ではなかなか見られない、でも、いつかどこかでたくさんたくさん見たような、そんな風景ばかりです。春、一面の菜の花畑、散歩する黄色い帽子の保育園児たち。夏、じいちゃんとバーちゃんが畑の草むしり、くわで農作業。腰が痛くなっても、終わらない。秋、はさ木に架けられた稲、たわわに実った柿の木。冬、落ち葉を集めてたき火。校庭で小学生がたこ揚げ。雪かき。
テレビもない。携帯ゲーム機もない。高速道路も、新幹線も、コンクリートのビルも、コンバインもない。便利とはほど遠い、生活していくだけでも大変なはずの風景が、なぜか心にしみるのです。登場人物たちが生き生きとして見えるのは、なぜなのでしょうか。

 スタジオジブリ、宮崎駿の作品にも、どこかなつかしい風景がたくさん登場します。
 たとえば「となりのトトロ」なんて、田舎のあばら家に引っ越してくる場面から始まりますよね。玄関の柱の木が腐っているのに、サツキもメイもほんとに楽しそうです。森の奥深くに探検に行く子供たちって、今も存在するのでしょうか?
 テレビ番組の「DASH村」も、いつも不便と苦労の連続を描いています。
 農業をするのに大型トラクターは使わず、漁業をするのに近代的な漁船は使いません。
村の古老みたいな人に教えを請いながら、ひたすら手仕事、手仕事。そして、いつも自然の脅威があります。普段はスポットライトを浴びる人気タレントが、わざわざ田舎に出向いて不便なことをしている。きっとそのギャップが、おもしろいのでしょう。
 
 私は農村に暮らしているので、いつも自然に振り回されています。自然に翻弄されながら生活しています。「DASH村」を地で行っているようなものです。本音をいうと「不便」は決して美しいものではありません。だから「農業を守れ」「農村を守れ」なんていう新聞の社説やら、だれかの演説には、何だかウソ臭いものを感じます。
行政の仕組やら、メディアの作り出す価値観・判断とは、はっきりと一線を画して、自分のこころの奥のほうと相談するのが大事です。不便だからやってみたい、快適じゃないから笑ってしまう。
 私のこころの奥のほうは「ドタバタ劇が案外楽しいぞ」と教えてくれています。

 



HOME

Copyright (C)1997-2014 Akiyama-farm. All rights reserved.

このホームページ上に掲載されているすべての画像・文書などの無断転載を禁じます。