「本棚も耕す」


 世界の3大穀物は、コメ、麦、トウモロコシです。
コメと麦は、ご飯・パン・麺になるので、主食です。またトウモロコシは家畜の飼料となり、肉や卵へと姿を変えて食卓に上ります。この3大穀物に、大豆と野菜類を加えると、食生活のほとんどがカバーされます。
これを農業の視点でみると、コメ以外の他のものは、毎年同じ場所で作り続けることが出来ません。「連作」をすることが原則としてできません。同じ畑に毎年作るものを変えながら、麦→豆→また麦→根菜、または、トウモロコシ→小麦→豆、といったふうに、作付けをずらしていきます。
野菜農家なら、マメ科(枝豆・インゲン)→アブラナ科(キャベツ・小松菜)→ウリ科(きゅうり、カボチャ、すいか)→ナス科(ナス、じゃがいも、トマト、唐辛子)→ユリ科(玉ねぎ、長ネギ)などのローテーション栽培が普通です。連作を続けると土がやせてしまい、実りが悪くなったり、病気や虫の害を受けやすくなります。そこで3年〜5年で、ローテーション栽培(輪作)をして、土壌のバランスが崩れるのを防ぐわけです。
コメだけが「連作」が可能です。田んぼでは、同じ場所で何年、何十年、何百年とずっと稲作を作り続けても問題が起きません。不思議ですよね。畑と違って田んぼでは水が大量に使われるため、連作障害が起きないと言われています。

 自分の本棚を整理していたら、ちょっとした発見がありました。
実用書や歴史書の多くが、本棚の手前に並んでいます。最近の本です。しかし小説やら詩集やら、新しいものはあまりみかけません。むかしよく読んだ本は奥のほうに並んでいまして、芸術に関する本などは一番奥のほうでホコリをかぶっていました。
 これは、年齢のせいなのか、もしくは環境や時代のせいなのかはわかりませんが、私が読む本、購入する本の性質が、どうも変わってきているらしいということです。学生時代と社会人とで読む本が異なるのは、まあ当たり前のことでしょう。他人と比べても、男か女か、青年期・壮年期・老年期、でも読む本はやっぱり違ってくるでしょう。
 私の頭もずいぶんと変わったんだな、そうしみじみ思いました。現在の傾向として、実用書や歴史書が多いということは、仕事に直結する事柄、人間社会の営み、に私の関心が高いということです。私の脳が、そういうところにアンテナを張っているということです。
読書は「積んどく」がほとんどで、誰かに強制されたわけでもなく、カリキュラムを組んで励んでいるわけでもなく、手当たりしだい、自分の好き勝手にしているだけです。でも確実に変わる。自分自身の好みの傾向には、変化が見られます。
それならと思い、20年くらい前、それこそむさぼるように読んでいた小説を奥のほうから引っぱり出してみたところ、本の小口はさすがに黄ばんでしまっているものの、意外や意外、中身はけっして古いとは思いませんでした。ああ、あと数年かすると、またここに戻っていくのかもしれないな、きっと読みたくなるな、と本を戻し、なぜだか笑ってしまいました。
 なんか、私の嗜好は、どうもローテーションをするようです。農業でいえば、輪作ですね。輪作ですから、去年と同じものではなく、新しいものを読みたくなるようです。そして時々、昔のリストに立ち返る。そういえば、本屋のキャッチコピーで「心を耕せ」なんていうのもありましたね。
 アレレ、おいら稲作農家なのにおかしいなぁ、心のほうは「連作」ではないのか? と思っていたら、「入れ替わりなくずっと続いているもの」、ありましたありました。やっぱり本棚の中に見つけました。・・・カセットテープです。音楽に関してはもう30年以上も好みが変わっていません。段ボール箱に何箱あるでしょうか。たくさんあって場所もとるので、CDにするか、コンピュータに落とし込もうと思いながら、なかなか出来ません。今どきカセットテープなんて、時代遅れの遺物のようで、いささか気恥ずかしいですけれど、でも、連作なので、来年も同じ音楽を聴くことでしょう。そこが私にとっての音楽の原点で、いまだに新しくてずっと変わらないものです。

 英語では、カルチャー(文化)もアグリカルチャー(農業)も、語源は両方とも「耕す」だそうですから、欧米人も畑だけでなく、本棚も耕しているのかもしれません。
そして、やっぱり「これは輪作」「こっちは連作」などと分類しながらニヤニヤしているのかもしれません。







秋ですね・・・。



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