「『考える』を考える」

 将棋や囲碁の棋士たちとコンピューターの対戦が話題になっています。
 コンピューターとの対戦でチェスの世界チャンピオンが負けたのは、確か15年も昔だったと思いますが、東アジア古来のゲームはチェスよりも少し複雑で、人間優位といわれてきました。
 しかし、その後のコンピューターの急速な発達により、将棋や囲碁でもトッププロとの対戦で、互角かそれ以上の強さを発揮するソフトが登場してきました。もともとコンピューターは計算機として始まったわけですから「詰みを読む」のは10手先でも20手先でも簡単なんだろうなと思います。しかしゲームの序盤戦や中盤戦は計算と言うよりも、構想・布石・誘導、などいろいろな要素が組み合わさって、決して一本道ではありません。どのタイミングで仕掛けるか、どの場所から踏み込むかは、判断をせまられる「考える」領域です。
 最近のコンピューターは「人工知能」と呼ばれるもので、意思決定やら判断やら学習強化やらいろいろなことが出来るようです。(私には、もはや用語さえもわかりません・・。)
人間のなかでも棋士はある種の天才の集まりだと思うのですが、なかでも特に強いはずの八段・九段の鬼才の棋士たちが「負けました」と言ってロボットに頭を下げるのをみると、何とも複雑な思いになります。
 単純作業や力仕事だけでなく「思考」の領域にもロボットや機械が入り込んできた、そんな現実を突きつけられる気がします。人間による指示がなければ動けなかったコンピューターが自ら考え始めている、やがてコンピューターが世界を席巻するのでは・・そんな未来を予見させます。

 また、医学の分野でも「脳の機能」についての研究がかなり進みました。
 人間の体のうち脳だけは機能や仕組みが不明なことが多く「不思議の空間」となっていましたが、このところ研究が大きく進み、神聖なる器官から単なる臓器へと大きく見方が変わってきています。気持ちや心は、胸の奥深くにあるのではなく、頭蓋骨の中、脳みそといわれる場所にあります。怒ったり泣いたり笑ったりといった感情さえも、神経内の電気信号の結果です。人間らしい喜怒哀楽も、単なる物理的な信号のやり取りにすぎません。(私はこちらも専門外で詳しくはわからないのですが・・・)結局、脳とは電気のスイッチを点けたり消したり、の連続なのだということと理解しています。

 科学の発展は、驚異です。
人間の考えることの中心であった「脳」が、こと細かく解明され、遺伝子レベルまで調査が進んでいるということ。いっぽうで情報処理機に過ぎなかったコンピューターが、状況分析、意思決定、反省と学習、といった「知性」を次々と獲得し、電源を入れておくだけで勝手に賢くなっていくということ。
人間の脳も物理信号で成り立っている以上、コンピューターにだって喜怒哀楽が出てくる日もそう遠くはありません。きっと、将棋に勝って喜んだり、負けて悔しがったりする、可愛らしいロボットが生まれるでしょう。得意不得意を計算するのではなく、好きか嫌いかの感情を持つロボットが、将来は恋だってするでしょう。恋するロボット・・、もうそこまで行くと、それは果たして科学なのかどうか・・。

 科学の発展以前から今日までずっと、種もみを苗床にまくと、芽が出て、葉が出て、やがて大きなイネになり、秋には美味しいコメが収穫されています。生命の原理もイネの生理も、科学による解明・研究はずいぶん進みましたが、まだコンピューターはコメを作り出すことが出来ていません。想像を絶するほどに優秀な人工知能も、まだ一粒のコメすら、作り出せていないのです。
 農家の出番は、まだもう少しありそうです。人工知能が田んぼで活躍するその日まで、農家が稲作の担当ですね。
 春になりました。桜の花びらが舞ったら、今年も種をまき、田を耕します。新しい未来が私たちを待っています。



スズメノテッポウがビッシリ生えました

振り返れば、月

田んぼにボカシを撒いて、微生物を増やします



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