「農業とは何か」
2018年8月号

  
 猛烈な暑さが続いています。西日本では、局地的な大雨が多くの人命を奪いました。全国で熱中症で命を落とす人も続出し、過去に例を見ないような天気の夏となりました。
こちら新潟県上越市でも先日39.5℃の観測史上最高気温を記録し、人もイネもこれまでに体験したことのない未知の領域に足を踏み込んでいます。

過去の経験が通用しないとなれば、私たちの考える力が試されます。暑さでぼーっとしてしまいますが、それでも人間のこと、イネのことを考えます。

あまりの暑さで、人もイネも行き倒れてしまいかねないのに、毎日田んぼを見て回り、水をやり、草を刈るのは、どういうわけなのか? 蒸し風呂といってもよい田んぼで、私たち農民はどうしてそんなことをしているのか? 思わず、自分たちの活動について理由のようなものを探し始めます。これは仕事だからなのか? それともイネという命を預かる仕事をしているからなのか? とても根源的な問いですね。
 最近おぼろげながら思うのは「農業とは人生だ」ということです。
 「小説とは人生」「音楽とは人生」「サッカーとは人生」・・・この世の中には、人生に例えられるものがたくさんありますが、私たちにとって農業は人生なんじゃないかと思うのです。
 小説家は、24時間ずっと小説家であって土曜も日曜もなく、小説のための人生を生きていると思います。テレビを見ているときも、お酒を飲んでいるときも、旅をしているときも、眠れない夜に布団の中で寝返りをうつときも、いつでも小説家です。9時から5時まで作業をするようなわけにはいかないだろうと思います。身近に小説家がいないので想像するだけなのですけれど、いい小説を生み出すことは、小説家の生きる意味と重なっているのではないでしょうか?
 もちろん会社や組織に所属している人であっても「会社が俺の人生そのもの」という人もいるでしょう。「組織の理念と私の人生哲学は完全に一致する」という人も大勢いるでしょう。
「仕事が人生」という生き方は、仕事で成功する人には共通で必須のことでしょう。
 政府は、家業として(または集落全体で)やってきた古来からの農業を方向転換して、職業としての農業、産業としての農業、の施策を進めています。他産業並みに収入が確保できる農業や、就労時間や有給休暇を定めた会社組織での農業を目指しています。世襲を排し、大規模経営へ舵を切ること自体は、農業人口が高齢化し減って行く現状を考えれば間違ってはいないと思われます。
 しかしすべてを管理して工業製品のように計算づくで作ることを想定しても、農産物はコントロールがむずかしいという面もあります。
 日本という国が工業化で大成功し先進国の一員になったからといって、工業という物差しですべてを測ることは出来ないのではないでしょうか?
 例えば教育現場でも教員の超過勤務が問題になっていますが、学校が人と人とをつなぐ場所である以上、勤務時間や成果だけで割り切れるものではありません。
 ひとの職業というものは、国が管理する管理しないにかかわらず、とても重要なものです。
そして各人の人生もまた、何かと比較するということなく、かけがえのないものです。
 小説家や音楽家に比べれば、または教員やプロのサッカー選手に比べれば、農業に従事する農民は、社会的にはずっと低級ですし、リスペクトされる対象でもありません。一般には収入だってそう多くないでしょう。
 しかし「農業は人生だ」というふうに思えば、農民の「幸せとは何か」についてを探し求めることになります。酷暑の炎天下にイネと時間を共にすることは、作業とか職業とかそういったものをはっきりと超越しています。もう生きることそのものです。人とイネは、戦友であり、家族であり、一体化した命のカタチになっています。

 何をわけのわからんことを言ってるんだと叱られそうですね。暑さでおかしくなった農民の戯言だと思って冷ややかに受け流していただければ幸いです。流しソーメンですね。












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